OBEY 「THE GIANT ROCK'N'ROLL SWINDLE」/V.A


 アメリカが着々とイラク攻撃の準備を進め、正義という名の元に、大国ならではの弾圧が見え隠れする。「世界平和?」なんて今の複雑なこの社会形態では、そう簡単に 実現する事では無いが、音楽やスポーツ、芸術の中では、国を越えて共感し合う事ができる。
 ニューヨークの同時多発テロ以来、世界各地での民族や宗教の違いによる争いを、日本のニュース番組でも頻繁に目にするようになり、平和だと思えるこの日本の中でも、ちょっとは危機感を持つ者も出てきているであろう。
 先日、インターFMのマイク・ロジャースが自由について語っていた。「アメリカという国は銃を自由に買う事ができるが、夜、 街を自由に(安全に)歩き回れる自由は無い。しかし、昔の独裁政権時代のロシアでは、夜は自由に歩ける。(市民が銃で命を狙われる可能性が少ない)」自由の国といわれているアメリカでは、無差別な銃撃で命を落とす人間があとを絶たない。個人の自由というものは、他者の自由に簡単に奪われることがある。そんな自由の国家アメリカでも、ツインタワーがテロの襲撃を受け、細菌を使ったテロからの恐怖も捨てきれない。そんなアメリカの中でも、今もたくましく平和の輪を広げようと頑張っているアーティスト達も沢山いる…。
 ニューヨークから北東に200km。ローランド州に住む、アーティスト"シェパード"は、学生の頃から
そんな世界中をアッと言わせる何かをしたかった。最初は自分でデザインした巨大な白と黒の顔のステッカーを、街中に貼っていったのが始まりだった。PUNK好きの学生であったシェパードは、自分のメッセージが少しでも誰かに伝わる事に夢を見ていた。そんな彼の巨大な顔のアートは、今や世界中に広がり、アメリカ本土はもちろんのこと、ヨーロッパの各地や、ここ日本でも彼の作品に出会う事ができる。いつしか世界中のメディアが彼の作品に注目し、ファッションデザイナーやロックアーティストまでもが彼の周りに集まっている。その中にはJello Biafraや、BOUNCING SOULS、THE LAWRENCE ARMSやBeastie boysのADROCKなど、US ROCK界の錚々たる面々だ。PUNKを愛したデザイナー、シェパードの夢は、今や世界を動かす程の現実となった。その彼に賛同する人間には共通の強い意識がある。PUNK ROCKをこよなく愛し、そのPUNK ROCKが持つ音や構造が放つパワーで、世界を変えていくという、やはりその部分に渾身の努力をしている顔ぶれだ。ブッシュ大統領がカウボーイ気分なら、国家間でもできない世界の繋がりを、家畜扱いされていたこんな俺達で築こうじゃないか…。そんな奴等が集まり、今回はそこで、シェパードが中心となって、2001年春、OBEY「THE GIANT ROCK'N'ROLL SWINDLE」/V.Aの企画がスタートした。そのV.Aには、2002年SUMMER SONICでも一躍名を上げたTHE HIVESや、アメリカではコアなシーンを支えるGONZALESやMINDLIKEWATERもエントリーされ、単なるパンクV.Aでは納まりきれない程の新鋭達がその後も続々と名をつらねてきた。日本からも数多くのバンドが候補に挙げられたが、世界各国数百バンドが彼の周りに集まる中、このV.Aの企画に参加できるバンドは世界的にもかなりの数に絞られていた。そこで注目を浴びたのが、WW2の真珠湾攻撃を唄ったSOFTBALLの活動が、アメリカ海軍の兵士達からの支持もあり、世界レベルのアーティストとしての承認を多くの人間から受けた。
 PUNK ROCKの歴史を振り返れば、そこには色々な毒の要素が複雑に絡み合い、成長し生き延びてきた経歴がある。シェパードは先日、Sex Pistolsのデザイナーとも会う機会があった。ファーストアルバムとなった"NEVER MIND THE BOLLOCKS"の、ジャケットのイメージも、Sex Pistolsのスキャンダラスな活動と共に歴史を創ってきたのである。
 あのジャケットが無ければ、PUNK ROCKのアート的な部分のイメージも大きく変わっていただろう。
 1976年、階級社会の退屈だったロンドンで、明確に革命を起こしたのはPUNK ROCKであり、その火種をまき散らしたマルコム・マクラーレンであり、Sex Pistolsメンバーであり、ヴィヴィアン・ウエストウッドでもあり、それを強烈なものにしたのも、彼がデザインしたアートでもある。今も彼のアートは、世界中に生き続けている。現存する世界中のバンドが多少なりとも彼の影響を受けているのである。「類は友を呼ぶ」。人間は自然と同じ匂いのする人や場所に寄っていくものだ。その分散していた才能が集まった時に、歴史は変化を遂げていく。今世紀それに非常に密接した動きが、イギリスロンドンでは無く、ニューヨークの隣の街から産声をあげた。経済的にも裕福にも見える国アメリカは、実は今や経済改革の過渡期でもある。
 民族や宗教戦争、テロなどの不安感は、どこか70年代後期に"GOD SAVE THE QUEEN"を歌う状況に、似てはいないか?
 最近になりまた、Sex PistolsやTHE DAMNEDが活動を始め、物質的には腹一杯の先進国では、民衆がどこか古いモノから何かを学ぼうとしている動きがある。かといっても、現代人にはその方法までもすぐに飽きてしまう。
OBEY 「THE GIANT ROCK'N'ROLL SWINDLE」には、世界をターゲットにした新鋭の才能を持つ、つわものばかりが集まった。
このアルバムが、ポカンと空いた、僕ら現代人の心をフォーローするであろうV.Aになっている事は間違い無い。
2002年12月14日 EINSTEIN RECORDS/中村


インタビュー
Jamie Reid
(Sex Pistolsアートデザイナー)
vs
Shepard Fairey(OBEY GIANT)
TEXT:EINSTEIN RECORDS/Nakamura
Pretty Disobedient


以前、シェパードが企画したコンピレーションアルバム、OBEY 「THE GIANT ROCK'N'ROLL SWINDLE」の事は本紙でも簡単に紹介したが、このシェパードのPUNK要素がふんだんに入ったデザインが生まれる原点にも、Sex Pistolsという歴史的革命なデザインがあったからでもある。そのSex Pistolsのアートデザイナーでもあるジェイミー・レイドとシェパード・フェイリーの対談が昨年末に実現した。ここでジェイミー・レイドをあえて説明するまでもないが、経歴などは簡単に紹介しておこう。ジェイミー・レイドは1947年の生まれで学生時代はアートスクールで過ごした、1976年にルイス島でマルコム・マクラーレンに会い、その年から1980年までの間、Sex Pistolsのアートワークを作る為に彼等とその作業を共にした。Sex Pistolsのシングルから"The Great Rock 'n' Roll Swindle"に使用のアートワークまでもが、彼、レイドの作品である。代表的なデザインとしては安全ピンをエリザベス女王のクチに刺したアートがある。それもユニオンジャックのカラーと共に、彼のアートはSex Pistolsのイメージを造り上げて世界中へ広がっていったのである。今でもジョン・ライドンやマルコムは『Sex Pistolsの存在は全てペテンであった』と言うかもしれない。しかし、彼等が発信したPUNKのスピリットは、この現代にもリアルに響いているという真実がある。現に、ポップカルチャーへの反抗は、実際に世界のシステムまでもを動かした。そのレイドとマルコムの活動は、実に1968年頃から始まっておりその後、マルコムはファッションの世界へ、レイドは暴動をイメージした世界に入り込んでいった。彼等の悪巧みに満ちた政治的スローガンは、1972年にはロンドンの反乱を引き起こしていった。そんな彼等の活動は、PUNKという形態や、Sex Pistolsを定義づけることの重要な役割を果たした事には間違い無い。その彼等の活動の歴史の波を受け発生してきたのが、OBEY GIANTのシェパードであったり、世界で多くのPUNKを掲げたアーティストであったり、その影響の範囲は計り知れない…。これから、レイドに対する思いを語ったシェパードの文章の後、このDOLLの読者へ、レイドとシェパードの対談を届けよう。これは、OBEY 「THE GIANT ROCK'N'ROLL SWINDLE」/VA発売記念で実現した貴重なメッセージである。この対談の内容は本紙日本初紹介でもある。


僕はジェイミー・レイドが誰なのか分からないうちから、彼のファンだったんだ。彼が描いたミニマルアートがとても好きだった。そのせいか僕が初めて描いたものは自分の記憶の中では、彼のSex Pistolsのロゴであったんだと思う。実際、僕が初めて作品として作ったシルクスクリーンのシャツは、Jamie Reid作のシド・ビシャスのイメージに手を加えたものだったんだ。何度も言うけど、僕は彼の手法の大ファンなんだ。ただ、後になって、レイド自身のことや、Situationist Movement(シチュエーション・ムーブメント:アートムーブメントのことで、資本主義社会や都市化について批評した)や政治との関わり合いなどを更に知る事になって、そこでレイドは、想像以上なもっと大きなイメージを見ていたことをがわかった。そして自分の中でも突然、彼のアートワークが一段と凄い意味を帯びるようになってきた…。誰だって、Jamie Reidの絵は描けると思う。簡単な複写機さえあればいいんだから。だがしかし、ムーブメントを起こしたことのある奴意外は誰も、それを鋭いモノにすることはできないんだ!  Shepard Fairey


Shepard「Jamie Reidの始まりは、政治が原因となって創作意欲が刺激されてたのか、それとも、ただ作る事というそれに夢中だったんだろうか、まずそれを知りたいんだ」
Reid「俺も、たくさん絵を書き、たくさんスポーツをするキッズ達の一員だった。まだ10代前半の頃は、サッカー選手をするかアーティストになるか、そんな感じだった。俺は、だらしがなかったから、アーティストになったんだよ」
Shepard「それは、僕も同じだ。僕も過去に『プロのテニスプレイヤーかスケートボーダーにはならないだろうな』と自分で分かった時に、アートを選んだ。でも、それもバランスが必要だと思う。僕は、一日中コンピューターの前に座っているけど、週末にはスケートボードをするか、でかい広告の看板に登ってその絵をかっぱらったりする。それでまた、アート作業に戻るんだ。君とマルコムがSex Pistolsとコラボレートする前は、何をやっていたのかな?」
Reid「俺は、本当に孤立した農場に2人の友達と住んでいた。その友達ってのは、コミュニティを持っていて、それは一種のNotting Hillの社会主義アナーキストプレスみたいなもんさ。俺達は、コミュニティを基盤としたローカルなプレス会社をロンドンの南のCroydenで始めたんだ。Suburban Press(サバーバン・プレス)って言うんだけどね。自分達の雑誌を出版したり、ポスターを創った。それに、他にも色々な出版をしたね。黒人の運動、女性運動、不法住居団体、囚人の権利の団体、あらゆる種類のことだ。実際、そこで俺はパンクとなる核を作り出し、それは自分の挑戦の積み重ねによるものだったと思っている。たくさんの時間、俺達は自分達の為のグラフィックやレイアウトばかりやっていて、ずっとその間は全く金が無かった。出来る限り一番安い作業手段を使っていたんだ。俺達は、悪ふざけを含め色々な事の挑戦を繰り返した。実は、それがパンクのかたちになっていったんだ。実際、そこで描いた俺のイメージの作品には、本当にPistolsに使ったものもいくつかあるんだ」
Shepard「もしその頃コンピューターを持っていたとしたら、レイドの作品は同じようなものであったかな?」
Reid「そうは思わないね。俺はコンピューターを本当に少ししか使わない。でも、俺は未だに、何か疑似的でリアルなわざとらしさが実際の作品に出てくると思う。奇妙な形で、ある程度まで平坦で、とても一次元的である。最も洗練されたアニメーションでさえもそうだよ。今俺がコンピューターを使うのは、ほとんど、下書きをしてからそれに使う時とアニメートの時だけ。たくさんのハンドペイント(下絵)のものがコンピューターで、質が良くなることを知ったし、それで絵が再び生きている液体の様に流動的なモノとなった」
Shepard「僕がとても好きな手法の一つに、エッジを引き裂いたものや、レイドの、何かを大げさに裂いたりかきむしったりするなどの手法なんかが、本当に凄いと思っている。レイドは、ただそれを平然とするだけで、でもそれは出てきて、どんどんヤバくリアルに表面化してきて…。いじくり回したり、不自然すぎるくらいわざとらしくする時間がそんなにあったようには思えない位に…。やっぱり、みんな、コンピューターに時間を使い過ぎてると思う」
Reid「実際、たくさんのことが手ならもっと速くできる。コンピューターが、何かを速くやったり色々な事で絶対必要だなんて、根拠の無い作り話なんだ。俺は、彼ら(コンピューターやコンピューターを使う人間)が本当に遅いと思う。俺は、コンピューターを使うのが最高に上手いわけじゃない。ただ、俺なら30分でできる。俺が思うに、コンピューターはいくらか君の時間を盗んでいるんだ。そこには、君の何かを盗んだものがあるんだ。そこには、2、3人のセルビア人がいて、トップのハッカー達がいて、コンピューターの中でマイクロチップをざっと数えるエイリアンがいて、世界を乗っ取る発明があるんだ。そして、この造り物のテクノロジーに完全に頼っている全世界を手に入れるつもりなんだ。そして破壊するんだ。世界は、すっかり大混乱になるだろう。これは最高の仮説だけど、本当の話さ」
Shepard「彼らがimitator(模倣者)から離れ、ゼロックスのコピー機から離れていきさえすれば、彼らはコンピューターを持てる。僕はそれでいい」
Reid「これはただ、全て新しい物を持たなきゃならないってことじゃないんだ。ひとかけらひとかけらを、全ての所から様々な自分自身のテクノロジーとして取り入れるんだ」
Shepard「レイド自身、自らの作品は、当初からパンクの美学を定義したそれに囚われているように感じたりするのだろうか?」
Reid「誰でもみんながそれに集中する時はそうだ。俺の作品は今でもそうだが、昔から、反資本主義的な世界の動きのようなものに、影響があるんだ。それは今でもある。しかし、俺はスタイルも変わるし、気まぐれだ…。 俺は、出会った人や一緒に働いてきた人達に、今までもインスパイアされてる。これは、80年代前半に起こったアルジェリアの暴動のようなものだ。アルジェリア人が生み出した音楽があった。それは直接パンクに影響を受け、刺激されたものだったけど、彼らはパンクをコピーしたんじゃない。彼らはパンクと伝統的なアルジェリアのものを組み合わせた。そして、実際に、それをダンスミュージックにも取り入れ、それは今存在するダンステクノなどにも大きな影響を与えたんだ。そういう例はたくさんある」
Shepard「ポップカルチャーの中にあなたを興奮させるもは? 何か興味のある行動や活動はある?」
Reid「自分が思うに、それはとても多様化してきていると思う。俺はずっとAfro Celt Sound System(アフロ・ケルト・サウンド・システム)に関わってきた。そしてさらに、それが目的でもあるんだ。それは違った見方をすれば、彼らはとても急進的でもあるから。彼らの活動は、ケルト族のひどくたくさんのカルチャーの中では急進的なことで、アフリカとインドのカルチャーと共通な部分を持っている。実際、それは本当に深い『ナショナリティーとは何か?』ということへ掘り下がっていく。そんな彼らと一緒に仕事をすることで、世界の言語は、本当はアフリカの言葉であることが分かるし、スコットランドやアイルランドのゲール語が、インドやアフリカの言語とたくさんの共通点を持つことが発見できる。第三世界の音楽の誕生は、全て自然現象なんだ。今ではそれが多様化し、至る所に広がってるけど、そこには共通のリンクがあるんだ。だがそれは、決して結束はしない」

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