SOFTBALLへ贈るメッセージ

2006/02/11

初めまして。今受験中のソフトボール好きの高3の男です。解散してからよりハマっていったんで本当後悔してますがライブには一度も行った事がありません。でもソフトボールは俺の中で数少ない特別なバンドになっています。詩と曲のよさと親しみやすさと音楽に対する姿勢が若い自分にはとても刺激になり、色々な事を考えれる様になりました。機材とか知識とか、それより先にまずやりたい事をすぐ実行出来てて単にカッケーと思える物を作っていたソフトボールは本当パンクだと思います。ポリティカルな歌詞と行動をクソな圧力に負けず常に実践していたバンドは少なくとも日本ではそういません。
初めて自分はテレビでリバイブのpvを中学生ぐらいの時見たんですが、当時は好きなアーティストですら金がないとかでcdを買わなかったんですが、あのpvを見てすぐにcdを買いに行ってました。本当にこれは自分には不思議な事だったんです。初めて見たバンドのアルバムをすぐ買いに行くなんて考えられない事でした。多分あれがソフトボールが純粋に持っていた力の凄さなんだと思います。
ソフトボールや秋茜がその凄さや実績の割に知名度が低い事にも圧力がかけられている事は見えますが、自分はソフトボールの音楽に気付けて幸せでした。こんなに感情移入出来るバンドは俺には他にいません。
ソフトボール聴いて受験も頑張りたいと思います。大和魂を胸に!サンキューソフトボール!!


2006/02/01

当方、ただ今、大学3年生です。

私はずっと、SOFTBALLの大ファンでした。

ギターを手にして、初めて弾いたのが、SOFTBALLの「ZERO」でした。


『生きていくということは、とても痛いことで、

もし、その痛みが転んですりむいたのが原因なら、

その転んだ痛みは「歩いた」という何よりの確信となる。

また、生きていくということは、とても不安なことで、

もし、その不安が道に迷ってしまったのが原因なら、

その迷った軌跡は、前に進みたいという決意を跡に残している。

負けそうなとき、限界まで追い詰められたとき、

逃げ出したくなるかもしれない。

だが、確かなのは、逃げ出したいと思ったのは、

そのとき、懸命に戦っている証なのだ。』

という強さをSOFTBALLから感じました。



だから、なおさらSOFTBALLの解散の折には、悲哀に暮れましたが、

何か一抹の疑問を投げかけられた気がします。

「お前らは、どう生きるのか?」…と。

SOFTBALLの姿勢を…考え方を…心意気を…

どれほど、理解できているのか計る術を私は持ちません。


 悲しいかな、私達の目で見ることができるのは、限られた周波数の光だけです。

また、私たちの耳で聞くことができるのは、限られた周波数の音波のみです。

私たちの星を包み込んでいる広大な宇宙に関しても、

聞こえる範囲しか観測できず、見える範囲しか観測できません。

私たちの世界を構成するミクロな世界に関しても、

見えるところまでしか見えません。

私達人間には、実際は、極々限られた範囲しか知ることができないようです。


 それを、見えないものを見、聞こえないものを聞くことが信仰と言われてきました。

強く信じることで見えたり、聞こえたりすると信じてきました。

魂が有り。霊が有ると…

あの世があり、彼岸が…

極楽があり、地獄が…


それは、物質を波動で捉える量子力学では識別不可能で、

心の中のイメージという精神的なものとして片付けられてきました。



SOFTBALLは、ただそこにあるものを鵜呑みにするのではなく、

自分で体当たりして、考えようとしていたのだと思います。


それを言葉で言えば、皆、部分しか表現できません。

大宇宙は一つしかない、大きなエネルギー体(真理)のことでしょうが、

言葉で捉えたら、ほんの一面しか表現できそうもありません。

だから、言葉のみで捉えたら、対立ばかりが起こります。

同じ土台に乗れないのです。

言葉は、気持ちを伝える手段として大切なもの。

しかし、言葉とは頭の中のイメージ(精神的なもの)と目で見え耳で聞こえる対象(物質的なもの)を

結びつける共通項…その2つの世界を結びつけるパイプでしかないということを忘れてはならないと思うのです。

宗教戦争ばかりが繰り返されたのも、言葉で捉えたから、

それぞれが信じる神々の対立になったのでしょう。

歴史は、2つの世界を結びつける共通のパイプを見つけ得なかったのでしょう。



大きなものほど感じるしかないようです。言葉で足りない空白の部分を感じるしかないのです。

元々表現できる言葉が無いから、私達のあらゆる本質的な存在は、

無(言葉で表現できない)を通してしか表現できないのです。

本質的な存在ほど「感じるだけ」という「無」でしか感じられないのです。

表現することには、無理があるのです。


だから、私はSOFTBALLに魂を感じました。


イギリスのロマン派詩人であるジョン・キーツは17世紀後半にこう残しています。

「耳にきこえるメロディーは美しい。だが聞こえないメロディーはさらに美しい。」と。


普通の意識では、聞こえないようなこと…見えないようなこと…

それをSOFTBALLは、私に感じるというアプローチ法を教えてくれたと思う。

そして、私はそれをこれからも、実践していかなくてはならない。

それが、使命なのだと、そう思う。


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